沖縄空手が全国に広がる

日本に明治政府が誕生したのちに実施された廃藩置県の後、空手は体育的に優れていることが専門家に認められて学校体育に採用されるようになり、スポーツ化、体育化していきました。

首里王府の書記官を勤めていた糸洲安恒(いとすあんこう)は、沖縄県立第一中学校、同師範学校の唐手教師の嘱託となり、学校体育の中で空手を普及させました。

大正11年には、船越義珍(ふなこしぎちん)が「琉球拳法唐手」を出版したのをはじめ、一般に本格的に空手が紹介され、またたくまに日本中に広がりました。

古武術的「て」が、1908年に「唐手」、そして1929年に「空手」になり、さらに戦後「空手道」の名称となりました。

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